ハレルヤと祈って歩く信奉者  小さな窓の下から覗く

 

 ハレルヤと祈って歩く信奉者

 小さな窓の下から覗く

 

 きのこ頭の男が話す様子を画面越しに見つめながら端に常駐させているメモアプリにメモ書きをタイプする。

 タッチが軽快じゃないのは、すでに頭の中で自分が持っている目標や希望に対して適用できるかどうか、思考が走り始めているからだ。

「目標は書くのではなく、問いかける形、質問文が良い」

 なるほど、と心の中で何度か頷き、確かに、とまるで数人で会議でもしているかのように何度か違う形での賛同が無言の上で続く。

 メモ帳には何百もの言葉が書かれているが、そのどれもが誰かが言ったり、自分の頭の中にあったものを書くことで乖離させ、自分ではないものとして投影させて保存したものだ。自分を引き離し、パッケージ化させている。その思考は時々自分の胸に帰ってくることがあるが、大抵は書いてしまえば、自分の心からは離れ、心の隙間には別の誰かがやってくる。そういうふうに人間はできている。

 それじゃだめだと私は思考のどこかで気づいた。知識が時折賛美歌として聞こえるのは、欠けた歯車の形を神様が教えてくれているのかもしれない。そう思った。

 大切なことを学んだら、それは自分の中にあるようにしなければならない。そう思い、目につく場所には自分への問いかけにするように采配することに決める。

「今日が人生最後の日だとして、果たして自分は本当に自分がやりたいことに必要なことをやっているだろうか」

 こんなことを毎朝鏡に問いかけて一日を始めていた有名人がいた気がする。一言一句言葉はあっていないと思うが、確かそんな言葉だった。

 ハレルヤ、今日、あなたは正しい道の上にいますか?

 窓の下にしゃがむ子供は、ひとり小さく頷いた。

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