持続型報道世界

 時計の針が止まる。正常なことだ。私の心臓も動いている。驚きはない。少しずつ、世界はずれながら今へと移動している。「あれ、おかしいな。ここにクランチを置いていたはずなんだけど……知らない?」「知らないよ」そのように変わる。その程度の出来事なのだ。

 ただそんなビッグバンが連続することで物質は”変化”していく。もしその様子を人が自覚できたらば、人はそれを忙しないというだろう。時間が進むことに対し、忙しない、というのは不適切かもしれないが、間違いないし、私たちが思っている以上に現実は連鎖して錯覚を一秒間に恒河沙と繰り返している。過去が濁るほど嘘まやかしが真実だと言われている。

 リアルとは断定したことであり、それ以上でも以下でもない。自分自身が真理に遭遇したら、もうこの人生は十分頑張ったといってもいいのかもしれない。なぜならそこで自我は喪失するからだ。あとは自分に与え続けられる役割をひたすらこなしていくだけの型となるだけだ、感謝の想いを抱きながら。

 悲劇はきっと繰り返されるだろう。ただ真理に気づかないことは辛い。世界は時に冷たく心を冷やすかもしれないが、それは真理を冷やしはしない。足を下ろせば着くし、人によっては足首程度のみずたまりとなるだろう。底は想像によって穴が空き、地の奥深くまで下がりゆく。退屈が生むレースはまだ正しく見つかっておらず残酷だ。

 未知の欠片が集まり繋ぎ合わせられ、そうして絵が完成していく。時計の秒針はその可能性を生んだ。自己を犠牲にする愛よ。そこに愛はなく、さよならと告げた。ありがとう、両手一杯の光よ。

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