生まれていない

 幸せなどと思ったことは一度もない。それでも周囲では生きているだけで幸せだなんて言葉が跋扈している。

 確かにそうなのかも知れない。元々存在しなかった、意味すらないなんていわれてそうな魂がこうして現世に生まれることができて、『私』なんて単位を手に入れることができたのだから。それはとてもすごいことだし零から一が成されたということは、その存在を認められたといっていいだろう。何もないところから、こうして自分を手に入れたのだからそれはきっと凄いことであり、それだけで幸せなことのはずだ。

 謙虚だと言われて生きて、良い人生だったと辞世の句を残すことが人生の目的、生まれてきた意味を自分で見つけるのだ、作り出すのだ、と齢百にいくかいかないかの時間を過ごした後に思うのかもしれない。

 だとすれば、やっぱりそれは大きな勘違いに思う。勘違いであろう。空になるだけだ。人生終えれば空になるだけ。そして零から一に成ったというのも勘違いであろう。凄いと思うのは立派なことだ。それだけにまるで豪華絢爛な装飾が施された蝋燭でも持っているかのように思えるがなんてことはない。その辺に転がっている石ころとなにも代わりはしない。価値は想像上の産物であり「あ、雨」と呟くのと同じくらい、出来事があったということなのだ。しかし中身は空なのだ。

 空を嫌い、空を欲してやまないのはやはり空であり、空ではないからだろう。それであり、それではなかろう。

 愛を嫌い、愛を欲してやまないのはやはり愛であり、愛ではないからだろう。それであり、それではなかろう。

 幸せを嫌い、幸せを欲してやまないのはやはり幸せであり、幸せでないからだろう。それであり、それではなかろう。

 では私たちはどこからきて、どこへゆくのか。どこから生まれ、どこへ帰るのか。生まれてもない。はじめから与えられた箱庭で、コンピューターの電子のようにピコピコ動いているのだ。それがこの世と言うものだ。動き回る電子に私たちは勘違いして乗っている。「生まれたのだ」と。生まれていない。私たちはまだ生まれていなかった。

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