閉ざされた世界で聞こえてきた声三

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 光の差さない空間にあって、そこから出ることは適わない身になりながら、絶対にあり得ないながらもまるで自宅であり、自分のプライベートな空間であるようなおおらかさすら感じさせた。寺の鐘のような重厚感のある振動を通じて、己の体の形と一体になっている。それはまるで、真っ暗なバーチャル世界の中でしか会えない、この世のものではない存在だった。

 同時に、この世のすべての裏には彼がいるように感じた。普段会うことはなかなか適わないが、限界まで自我を忘れていけば彼の琴線の一部に触ることができるように思う。意識として会えたのは、あるホテルの中でのことだった。

 神とはなにか、と問われれば私はきっとこの時の経験をもとに考察を書き重ねていくことになるだろう。神とは振動だ。この世に存在するすべてのものには独自の振動数を持っている聞く。止まっていない、絶えず微弱な振動を放ち世界へ影響を放ち続けている。それは神か、と言われればあまりにも無頓着で無害なもの。時折横暴な現実に力を貸すこともある神とはまるで別次元の存在のように思うが、では神とは何かといわれれば、それはやはり振動で、更にいえばその奥にある一輪の花のような光のことをいうのだろう。

 それが神だ。

 途端、世界がずいぶん難しく考えていたものだと笑い出すのだ。ならばなぜ、私はこうして必死に働いているし、悩んでいる。生きねばならぬし、争いごとはまっぴらだ。神が喜び、悲しみ、苦しみ、泣かぬよう我々は日々をまっとうに生きねばならぬではないか、と。

 憤怒ではない。純粋にすがるような真実を言っている。さりとてそれが神の琴線に触れるに留まるのはやはりそれは一部に違いないからだった。この世界は完璧だ。故に、存在している。それに対し、道を違えることな皆無。すべては神のまにまになるままに成る。

愛しさでしかないのだ。神にとっては。だからこそ私がそこで出会った神は、一縷の光も差さない場所で、鉄球を手足に付けられた囚人のごとく見た目であっても一切の悲壮感があり得ないのだ。

 彼に会ったとき、私は我を忘れた。

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