閉ざされた世界で聞こえてきた声八

     

 私にとって野球を終える、というのは人生の半分を失うも同然だった。なにせ一日二十四時間あるとすれば、そのうちの八時間は野球のために使っていたと思う。睡眠時間を八時間とすれば一日十六時間、つまり人生の半分をつかっていたものがなくなったのである。

 これを喪失感、というとまた少し違う。野球をやってきた時間はなくならないし、毎日楽しみにしていたわけではない。ライフワークとしてやってきただけだ。ただ野球をやっているだけで社会的には学生としての役割を果たしているように見られていた。だから感覚としては野球を辞める、ということは仕事を辞める、というのにも似ていると思う。

 だから新しい人生の道を探し始めた~なんて書けばずいぶん大仰な事のようにも思うが、単純に求職活動を始めた、という方がきっと合っているのだろう。

 ここで私が注目したのは、野球以外の時間で使っていた八時間、なにに使っていたのか、というところだ。私は読書・ゲームに使っていた。(学生の本分である勉強が入っていないのはご愛敬である)

 本やゲームから学んだことは、私に生きる胆力を付けてくれたように思う。敵を倒すには、特訓が必要だし、要領よくこなせば効率よくレベルをあげることもできる。極限まで精錬された世界観から学んだことの第一に、どうやら世界には表には出ない本当のことがあるのだということ。これが何よりも私の目を引いた。

 大人の話は整合のとれないものばかりである。例えば、お前はプロ野球選手になれる、お前は料理が上手、誰それはカッコよくて優れている。蓋を開けてみればどれもこれもが無責任な妄想世界の出来事で、なにもわからないのに、人を都合良く扱うための方便であることがだんだんとわかってきたのだ。小説やゲームの中のキャラクターも皆等しくそうであったが、少なくとも誰かの人生を、適度に区切ってくれるおかげで、どうやら放たれた言葉以上のところで人は満たされることがあるのだということ。つまり目に見えたり耳で聞いた以上に本当のことがあるのだということ。本やゲームはいろんな角度から、様々な視点を経験させてくれるから、それがよくわかった。

 初めてそれに気付いたとき、私は心底放心した。嘘八百で一喜一憂する現実が馬鹿馬鹿しくなり、人生の中にも彼らのようなにじみ出る本当を知りたくなった。それに伴い、人生について考えて、お金を稼げるものがあるとすればそれは物書きだろう。プロ野球選手じゃないなら、物書きになりたい。私はそう思った。

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